こんにちは、村田弘子です。皆様は、「社史」という言葉を聞いて、どんなイメージをお持ちになるでしょうか。「◯◯周年記念のパーティーで、取引先に配る記念品」「創業社長が引退するときに、自分の功績を残すために創る自叙伝」。多くの方は、「一握りの大企業のもの」あるいは「過去を振り返るための記念碑」といったイメージをお持ちかもしれません。
私は普段、オーナー企業のご家族のご縁結び(お婿様・お嫁様探し)や事業承継の現場に携わるなかで、痛切に感じていることがあります。「後継者の結婚や事業承継の前にこそ、魂の込もった社史が必要なのではないか」ということです。
なぜ、結婚や承継の前に社史なのか。社史をつくるプロセスには、会社の未来を決定づけるどんな力が秘められているのか。今回は、企業の魂を磨き上げられた言葉で紡ぎ出す社史制作のプロフェッショナル・森原さんをお招きし、社史がもたらす驚くべき価値と可能性についてじっくりとお話をうかがいました。
なぜ、後継者の結婚の前に社史が必要なのか
村田
私がお見合いやご縁結びの現場で強く感じるのは、お相手がファミリービジネスへ入る際の孤独と覚悟です。今の時代、ホームページを見れば「現在どんな事業をしているか」は分かります。しかし、歴代のファミリーがどんな想いや苦難を乗り越えてこの会社をつないできたのか、という深いストーリーまでは分かりません。
外部から創業家へ嫁ぐ、あるいは婿養子として飛び込む側からすれば、すでに強固な絆で結ばれた輪の中に、たった一人で入っていくわけです。歴史や価値観を知らずに、失礼なことを言ってしまうのではないか、と不安で心細くて当然です。
でも、もしそこに、先代たちの葛藤や温かい想いが綴られた社史があればどうでしょう。じっくりと読み込み、創業理念や苦難の歴史に共感できたなら、リスペクトが生まれ、この家と会社を支えたいという覚悟と情熱が湧いてくるはずです。だからこそ、私は結婚の前に社史を用意してほしいと願っているのです。
社史を作る時期は「◯◯周年」を待たないほうがよい
では、実際の現場では社史はいつ、どのように作られているのでしょうか。森原さんにうかがいました。
村田
森原さん、社史の制作は一般的にどのタイミングで依頼されることが多いのでしょうか。
森原さん
やはり一番多いのは、10周年、20周年、50周年といった会社の節目ですね。大台に乗るから残さねば、という義務感から作られる方が大半です。
けれど、本来あるべきタイミングは何周年という数字に縛られる必要はありません。そろそろ世代交代をしたい、会社の流れが変わってきたな、と感じたその瞬間こそが、一番の作り時です。
村田
なるほど。でも、社史の編纂となると、古い資料が社内に残っていない会社さんも多いのではないでしょうか。更地から掘り起こすような大冒険になりそうですね。
森原さん
おっしゃる通りです。資料がなければ、古参のOBさんや引退された創業期のメンバーを訪ね歩くことになります。ここで痛感するのが、社史づくりは時間との勝負だということです。
人間の記憶は時間とともに薄れますし、ご本人が亡くなると、当時の貴重な手帳や写真をご遺族が処分してしまうことも少なくありません。
ある老舗企業A社様の記念誌を手がけた際、創業時の様子を知る唯一のOB(元飲食部門の方)を探し当て、8時間かけてお話をうかがいました。その際、今の社長も見たことがない創業当時の貴重な写真が見つかったんです。もしあと数年遅ければ、その歴史は永遠に失われていたかもしれません。
ですから私はいつもお伝えしています。制作期間は2年ほどじっくりかけていい。ただし、着手するのは1日でも早いほうがいい、と。5年後に周年を控えているなら、今すぐOBのヒアリングだけでも始めるべきなのです。
手帳も写真も、価値を知る人がいるうちしか残りません。着手は早いほうがいい、という理由です。
「誰のために、何のために」— 完璧な成功譚より泥臭い経験こそが後継者を救う
村田
早く始めることの重要性がよく分かりました。社史を作るにあたって、一番大切にされている軸は何ですか。
森原さん
誰のために、何のために作るのかを、最初に決めることです。
Purpose
- 社内の意思統一のためか
- リクルーティング(採用)のためか
- 事業承継のためか
- 顧客開拓のためか
森原さん
目的によって、取材対象も載せる内容も大きく変わります。もし親族内承継が最大の目的であれば、対外的な見栄えを気にする必要はありません。極端な話、通し番号を振って社内・親族限定の配布にしてもいいわけです。そして、事業承継を目的とするなら、絶対に外せないのが苦労話や失敗談、いわゆる会社の弱点や試練です。
森原さん
後継者の視点に立ってみたとき、社史に先代の偉大な成功ばかりが並んでいたらどうでしょう。自分にはこんなことできない、とプレッシャーで押し潰されてしまいますよね。
でも、実はあの時、倒産寸前の大失敗があった、この苦難を周囲に助けられながらこうやって泥臭く切り抜けた、という生々しい歴史が書かれていたらどうでしょうか。あんなに完璧に見える先代も、昔はたくさん悩んで失敗してきたんだ、これなら自分も乗り越えられるかもしれない、と、大きな勇気と励ましになるんです。
歴史の陰にいた妻・女性たちの物語を刻む
村田
もうひとつお聞きしたかったのが、社史における経営者の配偶者の存在です。創業間もない苦しい時期、創業者を公私ともに支えてきた奥様やお母様の貢献は計り知れません。ですが世の中を見渡しても、経営者の妻の視点で書かれた本は驚くほど少ないですよね。
後継者のパートナーとして新しく家に入るお嫁さんやお婿さんにとって、先代の妻がどう苦難を乗り越えてきたかは、喉から手が出るほど知りたいロールモデルだと思うのです。
森原さん
本当におっしゃる通りです。実は、これまでの一般的な社史では、配偶者の方に単独でスポットが当たることはほとんどありませんでした。最後に「妻にも感謝している」と数行書かれる程度です。だからこそ、私は奥様や女性社員の視点を社史に盛り込むことを強く提案しています。
工業用・産業用特殊ブラシのトップメーカーであるB社様の60周年誌を制作した際のエピソードがあります。以前の50周年誌には、創業期を支えた奥様のお話が一切載っていませんでした。ご自身が遠慮されていた部分もあったようです。
そこで今回、奥様のお話も少し載せませんか、とご提案したところ、取材を始めたら出るわ出るわ、感動的なエピソードが次から次へと溢れ出してきたんです。予定していた掲載枠が小さな文字でぎっしり埋まるほどでした。
完成後、社員の方々からも「奥様にこんなご苦労や物語があったのか」と大きな反響を呼び、社長ご夫妻にも大変喜んでいただけました。表舞台には出なくとも、奥ゆかしく会社を支えてきた女性たちのストーリーを掘り起こすことは、これから迎える新しい家族にとっても、かけがえのない道標になります。
記録に残ることの少なかった配偶者や女性社員の歩みも、社史がすくい上げられる物語です。
社史づくりは、2年かけて親子で走る「バトンパス」
村田
社史をつくるプロセスそのものが、社内や後継者にどんな変化をもたらすのかも興味深いです。実際の現場ではどんな変化が起きていますか。
森原さん
一番劇的な変化が起きるのは、先代と後継者の関係性です。先代へのインタビューを行う際、隣に後継者の方にも同席してもらうことがあります。最初は黙って聞いていた後継者が、先代の語る創業期の裏話を聞くうちに、「そんなことあったんか」と驚き、身を乗り出してくるんです。
先代も、普段は照れくさくて言えんかったんや、と本音を漏らす。その瞬間、後継者の目の色が変わります。
それまで、親が言うから継がなきゃいけないのかな、という義務感でいた後継者が、この歴史を自分が背負い、さらに伸ばしていきたい、という能動的な覚悟へと変わっていく。その変化を私は何度も目の当たりにしてきました。
経営権の移譲や株式の移動といった事務的な手続きは、一瞬で終わります。でも、事業承継の本質はそこではありません。社史をつくる2年間という時間は、先代と後継者が同じバトンを2人で握りしめながら、並走する時間そのものなのです。
森原
歴史を知ることは、後継者のアイデンティティになる
村田
社史づくりの時間が承継のバトンパス。素晴らしい表現ですね。少し私の個人的な話をさせていただきます。
私の嫁ぎ先では、社史を作っていませんでした。家系図や肖像画はあったのですが、社史がなかったのです。夫も日々の事業に追われ、先代の歴史をまとめる余裕がありませんでした。そんななか、息子の高校生のころに創業者である祖父が急逝しました。
その時、高校生だった息子が最初にしたことは、家中の古いアルバムを、誰にも捨てられないように自分の部屋にかき集めて整理することでした。彼は彼なりに、自分が進むべき未来のルーツとして、どうしても創業の物語を知りたかったのだと思います。後継者にとって、歴史を知らないまま経営の舵取りをするのは、目隠しをして航海に出るようなものだからです。
その後、3代目を継いだ息子から、ある日写真が送られてきました。2代目の時代に途絶えていた社員バス旅行を復活させた報告でした。息子は、高校生の時にかき集めたアルバムの中にあった社員旅行の集合写真のイメージを心に焼き付けていたのでしょう。会社の原点はここにある、これが経営者としてあるべき姿だ、と学んでいたのかと、思いをめぐらしました。過去のストーリーを記録として遺してあげることは、現経営者が後継者やその伴侶に手渡せる、最大の財産なのだと痛感しています。
作って終わりではない — 社史が会社の「未来の教科書」になる
村田
森原さん、完成した社史はその後どのように活用されているのでしょうか。
森原さん
これも誰のために、という設計次第で、驚くほど社内を活性化させます。先ほどご紹介したB社様では、社史の各ページに記事担当者(社員)の名前を入れました。すると、社員が誇らしげに社史を家に持ち帰り、「お父さんの名前が載っている」とご家族にも喜ばれ、社員の定着率やモチベーションの向上につながりました。
さらに現在では、その社史を使って社内勉強会が開かれています。この年に開発された製品の裏側をもっと教えてください、この時の海外進出のエピソードを詳しく知りたいです、と、社史を起点に世代を超えた対話が自発的に生まれているのです。
社史は、過去の記念碑ではありません。正しく設計された社史は、社員が自社への誇りを取り戻し、後継者が覚悟を決め、新しい家族が安心してファミリーに加わるための、未来への教科書になりえます。
作って終わりではなく、開かれ続ける一冊に。担当者の名前を刻むことが、その入り口になります。
事業承継を控えるすべてのオーナーの方へ
いかがでしたでしょうか。親から子へ、創業家から新しく加わる伴侶へ、そして社員へ。大切な想いを手渡すための構造体(システム)を設計することなのだと、森原さんのお話から改めて確信いたしました。
事業承継を控えている方。これから後継者にお婿さんやお嫁さんを迎えようとされている方。ぜひ、数字や手続きの承継だけでなく、想いの承継としての社史づくりを検討してみてはいかがでしょうか。それはきっと、未来の家族と会社を何十年先までも温かく守り続ける、最高のお守りになるはずです。
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